グールドって最新の知見からはどうなの?
最近ようやく自分の専門分野の本を読むようになった。
1.『生物進化を考える』(木村資生)
2.『分子から見た生物進化』(宮田隆)
分子からみた生物進化 DNAが明かす生物の歴史 (ブルーバックス)
- 作者: 宮田隆
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/01/21
- メディア: 新書
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3.『理不尽な進化』(吉川浩満)
以上、三冊の本を読んで思ったことをここにまとめておくことにした。
グールドがよくたたかれているのをネットなどで目にする。実際何が問題なのか。
『理不尽な進化』曰く、生物研究において歴史が軽んじられていることに対するグールドの指摘が問題らしい。
例えば、鳥の羽は飛ぶためにできたのではなく、体を保温するためにできた。飛ぶことに使われるようになったのは、その後なのだ、と。
別に適応主義者も歴史は考慮していると思う(同様に歴史主義者も適応を考慮しているだろう)が、より長いスパンの歴史を考慮しろということなのだろう。
『理不尽な進化』曰く、そのような歴史も適応主義に包括可能らしい。
それにはある程度同意する。
最初に読んだ二冊でのグールドの評価を以下に述べる。
『生物進化を考える』で木村資生は「断続平衡説は間違っている。その遺伝子的な証拠がある。あんまり斬新な考え方じゃない。」的なことを言っている。
しかし、、、、、
『分子からみた生物進化』で宮田隆は「断続平衡説は合っている。」と述べている。
この二冊の差は年代的なもので、後者の方が最新の知見なのだろう。
これらの本を読んでから、『理不尽な進化』を読んでみたところ、どうやらグールドって最新の知見からも「う~ん」って感じみたいだった。
1.『生物進化を考える』→1988
2.『分子からみた生物進化』→2014
3.『理不尽な進化』→2013
まあ『理不尽な進化』の著者は生物の研究者ではないし、指摘している点もグールドの主張に対してであって、研究内容(断続平衡説など)ではないようだった。
1は年代的なものだろうが2と3はどちらの意見が正解なのだろうか。
2の著者が理系の研究者だから正解だ!ということを言いたいのではない。
2の内容は遺伝子から生物の進化を研究するというもので、遺伝子を使って系統を作成する理論が述べられていた。
それを読む限り「観察しているとAからBが進化しそうだけど、実は遺伝子を調べてみると、BからAに進化してるんだよ。」って感じで、観察に左右されない研究だと思った。すなわち適応主義よりも歴史主義(『理不尽な進化』より言葉を借りた。)に大きく偏ったものだった。
まとめると、
観察を中心にした研究から見た進化→適応主義に偏りがち
観察よりも遺伝子を中心にした研究から見た進化→歴史主義に偏りがち
となるように思う。
『理不尽な進化』曰く、歴史主義か適応主義のどちらかに偏るのではなく、両方を鑑みる研究が重要とグールドが述べているらしい。
おそらく当時はそこまで遺伝子の研究が進んでいなかったので、適応主義に偏りがちで、それに対するグールドの憤りの表れが指摘されたのだろう。
最近の生態学は遺伝研究を取り入れていることがほとんどだ。ファーブル昆虫記のような観察だけに頼った研究は少ないし、そういう研究だけでは生きていけないらしい。
しかし遺伝研究の方はどうだろうか。モデル生物にこだわり、実際にその生物が生きている環境に目をやらないのは、歴史主義に偏っているのではないだろうか。
中立進化などの遺伝研究によって適応主義が少し退いた一方で、歴史主義に偏り過ぎるのは、グールドの本望ではないように思う。